あなたは自分や大切な人の死を穏やかに受け入れることができるだろうか
僕を含めてほとんどの人にとって難しいのではないか。
「生物はなぜ死ぬのか」小林武彦著(講談社現代新書)の書評やレビューには、この本を読んで死を受け入れられるようになった、という感想ががたくさん書いてある。
本当なのか? と思って読んでみた。
以下僕なりの本の要約だ
1.なぜ進化の過程で生き残った個体なのに老化して死ぬのか
現在生き残っている生物は厳しい環境変化と生存競争を生き残ってきた選ばれた者たちだ。
生き延びて、異性を獲得し、できるだけ多くの遺伝子を残すという競争のなかで選択的(たまたま偶然に選ばれて)に残った。
では、生存に適した遺伝子しか残らないという淘汰のなかで、生物はなぜ老化して死ぬように設計されているのか。
老化も死も進化の過程で必要だったのではないか、だから老化して死ぬ遺伝子が選択的に残ったのではないか。
2.奇跡的な生命の誕生
地球上の物質が偶然に組み合わさって最初の生命が誕生した。
この偶然が起こる確率は、機械式腕時計を分解して水の溜まったプールに投げ込み、かき混ぜてもとの形になるくらい低い確率だそうだ。
地球が誕生してから膨大な年月の間にそれが起こった。
3.性差が多様性を生んだ
最初の生物は性差がなく自己増殖した。
しかし、オスの遺伝子とメスの遺伝子が組み合わさって次の個体が誕生するようになると、膨大な組み合わせによる多様な個体ができた。
これを永遠と繰り返すことで無数の組み合わせが生まれる。
4.私達は壮大な実験室で暮らしている
遺伝子情報は個体の意思とは関係のない偶然の産物だ。
例えば、痩せ型の遺伝子を持っている人が運動を頑張って筋肉質な体になっても、努力して獲得した筋肉質という特徴は子に遺伝しない。
進化というのは、偶然により無数の試作品を作って、偶然により選択していく、という壮大な実験室のようなものだ。
5.生物は利他的に死ぬ
遺伝子の組み合わせ種類の多さ(多様性)は世代を重ねるごとに増えていく。
つまり、今の世代よりも次の世代の方がより多様な実験ができることになる。
そこで今の世代は、次の世代により多様な実験に参加してもらうために「利他的」に死ぬ。
この繰り返しによって種の適応力が高まっていく。
そのような遺伝子が選択的(たまたま偶然)に残った。
かなり前に読んだ内容を思い出しながら書いたので、自分の解釈も入っているし不正確な点が多々あるかもしれない。
正確に知りたい人は是非書籍を読んでください。
ここからは僕の個人的な考えだ。
●僕は死を受け入れられるようになったか?
この本を読んで「死ぬのが嫌でなくなった」という友人が実際にいた。
思わず「本当に?すごいね!」と言って、なんて強くてしなやかな人だろうと尊敬の感情を抱いた。
僕はこの本を読んでも死を受け入れる気持ちになれなかったからだ。
なぜだろう、おそらく理由は
僕が生まれてからこれまでに出会った人達が愛おしい過ぎる。
壮大な実験室でたまたま知り合った愛おしい人達と二度と会えないのは寂しすぎる。
別れたくない人達のなかには、亡くなった人や生きているけど今後会うことがないかもしれない人が含まれている。
でも、この人達とも記憶の中では会える。
自分が死んだら記憶の中でも会えないじゃないか。
●能力的な成長と人格的な成長
僕の座右の銘は「人は人、俺は俺様」だ。
自分より優れた人がたくさんいるけれど、自分史上最高を更新し続けられたらそれでいいじゃないか、という考え方だ。
でも、いつか能力的な成長は止まる。
能力というのは人の役に立つ力ともいえる。人の役に立つ力の強さと希少性が高いほど、他人から感謝され称賛され高い報酬を受け取る。
しかし、年をとると次第に体力だけでなく思考のスピードと正確性が衰え、人の役に立つどころか助けてもらわなければならなくなる。
能力的に自分史上最高を更新できなくなったら、何を生きがいにすれば良いのだろうか。
おそらく、人格的に自分史上最高を目指せば良いのではないか、と思う。
それは自分の衰えと死を穏やかに受け入れる人格だ。
出来るようになるかわからないけど。
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