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他人と比べてもキリがない、というが、過去の自分と比べてもいつか衰える?

更新日:2023年10月1日




先日知人から、「SNSで他人の投稿を見ているとキラキラしすぎていて劣等感を感じてしまう」という話をされました。

「結局、投稿している人も人生の中で一番いいところを投稿しているわけで、それだけ見て自分が劣っているとは思わないほうが良いよね。」とか、「そもそも他人と自分を比べてもきりがないから過去の自分より成長することだけに集中しようよ。」とかよくある話になりました。

数日してふと、「過去の自分より成長することに集中して自分史上最高になっても、いつかは老いて衰えるよな?」と疑問を持ちました。

今日はこの問いについて4段階で考えてみました。

1.他人と比べることについて

「よそはよそ、ウチはウチ」

「人は人、自分は自分」


そう言われるとそうだとは思いつつ、どこか虚しさも感じる。

どこかに他人には敵わないというあきらめが入っている感じがする。

子供時代、ゲーム機を買ってほしいときに親から言われたからか?

「〇〇ちゃんのうちはお金持ちだけどウチは・・・」という感じ。


この場合他人と自分の順番を入れ替えると良いように思う。

「自分は自分、人は人」と言ったほうが自分目線で腹落ちする。

発音は、「オレはオレ、ヒトはヒト」「ワタシはワタシ、ヒトはヒト」といった感じ。

自分中心で人の目は気にせず行きましょうよと。


ただしよく考えると他人には敵わないというのも真実だ。

私自信も一番優秀な中小企業診断士だとは思っていないし、なれるとも思っていない。


人と優劣を比べると際限ない自己否定になる。


この世には自分より、性格が良くて、人望があり、優秀で、強く、美しい人がたくさんいる。


2.過去の自分と比べることについて

比べるとしたら、他人でなく過去の自分のほうが良い。

自分はより良くなっているとか、より役に立つ人間になっているとか。


自分の限られた才能と時間をどれだけ使い尽くすか、これに集中する方が人生充実するし、そんな生き方のほうが魅力的だと思う。

広い宇宙の点のような人間に生まれ持って与えられた運命や使命などない、有るとしたら自分の心のなかに使命を作って信じるしかない。と思う。


筋力トレーニングや格闘技は自分と向き合える点が好きだ。

自分より強い人はいくらでもいる。しかしそんな事は忘れて過去の自分より強く、速く、巧くなれるかに向き合うことができる。


しかし、いつかは過去の自分を超えられなくなる。

すでに自分も肉体的には超えられなくなってきている。

瞬間的な筋力はまだ成長させられるが、心肺機能や回復力は20歳台より確実に衰えている。

いつかの年齢で知力面でも、思い出せない、計算できない、早い会話についていけない、という日が訪れるだろう。

知力体力の総合面では今が自分史上最高に充実していると思っている。これからもっと高められると思う。

しかし世界一にはなれないし、いつか衰える。

3.いつか来る衰えにどう向き合うか

しようがない。この言葉は外国語に翻訳するのが難しいそうだ。

しようがないとする文化が日本のイノベーションを阻害しているという意見もある。

勝てそうになければルールそのものを変えてしまおう、と考えて実行する国から見ると弱々しいことこの上ないだろう。

たしかに解決できる課題を「しようがない」といって取り組まないのは問題だ。

でも、変えられることは変えようと努力すべきたが、変えられないことは受け入れるしかない。

老いは多少抗うことはできても、なくすことはできない。

まさに、しようがない。


4.結局死ぬまで成長できるんじゃね?

「しようがない」けど自分はそれを受け入れることができるだろうか?

老いもそうだが、死はもっと受け入れるのが難しそうだ。

できるかわからない。

?ちょっと待て?できるかわからないということは、将来できるようになる可能性があるということか?

できるかわからないというのは成長の余地があるということか?

そんな覚悟ができることが精神的な成長だと考えると、一生成長できる、自分史上最高を追求することは死ぬまでできる訳だ。

という訳で誠に勝手ながら私の結論としては、「結局人間死ぬまで自分史上最高を目指せるんじゃね?」となりました。


余談かもしれませんが、気をつけないといけないのは、自分が提供できる独自の価値というのは自分と対話するだけではわからないということ。

そもそも人は他人との関係性の中でしか自我を認識できない相対的な存在だから。

このことを近代哲学者の和辻哲郎は「人間=じんかん」と表現したようだ。

頭の良い人は本当に頭が良いな、自分と比べると嫌になる、俺なんて・・・・

経営戦略においては、市場調査や競合比較をせずに勝手な思い込みで自社の強みやセールスポイントを定義するは危険で傲慢だ。

マーケティングでは特定のカテゴリーで1番になることも大切だ。

思えば僕は学校という環境にいつも違和感を覚えていました。

会社で皆同じスーツを着て皆同じ時間に連れ添って同じ食堂に行き・・というのも窮屈でした。

とくに体育祭の練習や集団行動が嫌いでよく欠席しました。不良とかかっこいい感じでなくただ欠席して寝たり本を読んだりしていました。

学校も勉強も嫌いでした。好きになったのは大人になって自分のペースで勉強できるようになってからです。生きていくために必要に迫られたのもありますが。

今の仕事は自分の貢献意欲や価値観に従って動くことができるので幸福度が上がっています。


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